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福岡高等裁判所 平成7年(行ス)2号 決定

抗告人

福岡入国管理局主任審査官

山崎哲夫

右指定代理人

冨田善範

外六名

相手方

林礼河

右代理人弁護士

上田国広

萩尾珠美

安武雄一郎

松井仁

主文

原決定主文第一項を取り消す。

相手方の本件申立中、抗告人が相手方に対し平成六年七月二六日付けで、発布した退去強制令書に基づく執行のうち送還部分の執行を本案事件(福岡地方裁判所平成六年(行ウ)第三〇号退去強制令書発布取消等請求事件)の第一審判決言渡しの日から一か月を経過する日まで停止を求める部分を却下する。

申立費用及び抗告費用は相手方の負担とする。

理由

第一  抗告人は主文同旨の裁判を求め、その理由を別紙(一)のとおり述べた。これに対する相手方の意見は別紙(二)、(三)のとおりである。

第二  当裁判所の判断

一  相手方の主張によれば、相手方が本案訴訟の主位的請求において主張する本件退去強制令書発布処分(以下「本件処分」という。)の違法事由の要旨は次のとおりである。

(一)  上陸者に密入国の事実の認識がない場合は出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)二四条一号に該当しない。相手方には密入国の故意がないから、密入国の事実を理由とする本件処分には事実誤認の違法がある。

(二)  相手方には密入国について適法行為の期待可能性がないから、密入国の事実を理由とする本件処分には事実誤認の違法がある。

(三)  本件処分の手続において、相手方は認定通知書の記載内容について十分通訳を受けておらず、認定に不服がある場合には三日以内に口頭審理を請求する必要があることの説明を受けていないから、本件処分の手続に瑕疵がある。

(四)  本件口頭審理放棄書を取り付ける手続は相手方の審査を担当した入国審査官村野真澄が行っているが、これは法四七条四項が主任審査官をもって口頭審理放棄書の取り付け手続の主体としていることに反し、違法である。

二  しかし、当裁判所は相手方の本案訴訟の主位的請求は次のとおり理由がないと考える。

(一) 本件処分は刑罰ではなく、法二四条一号、四七条四項、五一条に基づく行政処分であって、法二四条一号は上陸者の故意ないし事実の認識又は期待可能性の存在をその成立要件としていないから、相手方の右(一)、(二)の各主張は失当である。

(二)(1)記録によれば、次の事実が一応認められる。

① 相手方は、平成六年五月一八日、船舶で福岡市東区所在の東浜埠頭に到着し、有効な旅券又は乗員手帳を所持しないで本邦に入国したが、同日、旅券不携帯により現行犯逮捕された。

② 福岡入国管理局入国警備官は、同年七月七日、法六三条、二七条に基づき、相手方に対し、法二四条一号に該当するとの容疑により違反調査を行った。

③ 入国審査官は、同年七月一九日、法六三条、四五条に基づき、通訳人を立ち会わせて相手方が法二四条の各号の一に該当するかどうかの審査を行い、同日、法六三条、四七条二項に基づき、相手方が有効な旅券又は乗員手帳を所持せずに本邦に入国した事実について法二四条一号に該当する旨認定し、相手方にその旨の認定通知書を交付するとともに、三日以内に特別審理官に対し法四八条の規定による口頭審理の請求をすることができる旨を知らせた。これに対し、相手方は口頭審理の請求を放棄し、口頭審理放棄書に署名した。入国審査官が相手方に対し法四八条の規定による口頭審理の請求をすることができる旨を知らせたことは疎乙一号証(審査調書)、同七号証(入国審査官の陳述書)、同八号証(通訳人の陳述書)により一応明らかであり、相手方が通訳の不備その他の理由により錯誤に基づき口頭審理の請求を放棄したことを窺わせるに足りる疎明はない。

④ 抗告人は、同年七月二六日、法六三条、四七条四項に基づき、相手方に対し本件退去強制令書を発布した。

(2)  右のとおりであるから、認定通知書の記載内容について十分通訳を受けておらず、認定に不服がある場合には三日以内に口頭審査を請求する必要があることの説明を受けていない旨の相手方の主張は理由がない。

(三) 疎乙七号証によれば、本件口頭審理放棄書(主任審査官宛)は相手方の審査を担当した入国審査官村野真澄がその取り付けの手続を行い、同人に対して提出されたことが一応認められる。しかし、疎乙六号証によれば、本件退去強制令書は相手方に対して認定通知書が交付された平成六年七月一九日から口頭審理請求期間である三日以上を経過した後である同月二六日に発布されたことが一応認められるから、右放棄書は結果的に使用されなかったことになり、主任審査官が口頭審理放棄書の取り付け手続を行わなかったことは、本件処分の取消原因に当たらないと解すべきである。

三  記録によれば、本案訴訟における相手方の予備的請求は、その趣旨を「抗告人が相手方に対して発布した本件退去強制令書に基づく強制送還を、相手方に対する福岡高等裁判所平成六年(う)第二七九号出入国管理及び難民認定法違反被告事件の判決が確定するまで執行してはならない」とする無名抗告訴訟としての請求であり、相手方の主張によれば、その理由の要旨は次のとおりである。

(一)  相手方は、前記のとおり平成六年五月一八日逮捕され、同月二二日から勾留され、同月一〇日、法七〇条一号、三条一項違反の罪で起訴され、同年七月二九日福岡地方裁判所において懲役一年(執行猶予三年)の有罪判決の言渡しを受けたが、右判決を不服として同日福岡高等裁判所に控訴の申立をし、現在係属中である。

(二)  憲法三一条、三二条、三七条は我が国に在留する外国人の裁判を受ける権利を保障している。我が国が批准している国際人権規約(B規約)一四条も同様である。したがって、入管手続と刑事手続が抵触した場合は、裁判を受ける権利が侵害されない範囲でのみ入管手続が行われるべきである。

(三)  裁判途中で退去強制することは、いったん国家が外国人を裁判手続に乗せたにもかかわらず、途中で裁判から排除することであり、国家意思として矛盾している。

(四)  法は、退去強制手続と刑事手続との関係について六三条で規定しているが、右の考え方からすれば、同条二項の「刑事訴訟に関する法令の規定による手続」とは、身柄を拘束する手続に限定されず、刑事訴訟に関するすべての手続を指すと解すべきである。

四 しかし、相手方の右予備的請求の内容は、行政庁に対し一定の行政処分を行い又は行うべからざることを求めるものではなく、相手方の刑事事件との関係において、すでに成立した本件処分の行政上の強制執行(直接強制たる退去強制)を行うべからざることを求めるものであるから、とりもなおさず行政事件訴訟法上の執行停止の申立を本案訴訟において行うことに帰着し、訴えとして不適法というべきである。

五  以上のとおり、本件執行停止の申立は行政事件訴訟法二五条三項の「本案について理由がないとみえるとき」に当たるから、失当としてこれを却下すべきものである。

第三  よって、右と異なる原決定主文第一項は不当であるから、これを取り消して右部分を却下することとし、申立費用及び抗告費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官田中貞和 裁判官宮良允通 裁判官野﨑彌純)

別紙(一)

抗告の理由

原決定は、本件退去強制令書に基づく執行をその送還部分に限り本案の第一審判決言渡しの日から一か月を経過する日まで停止する旨の決定を行ったものであるが、右決定は、本件退去強制令書に基づく執行を停止したことにおいて不当であるから認容し得ないものである。抗告人は、抗告の理由として、原審における抗告人の意見書を援用するほか、次のとおり主張する。

一 原決定は、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)二五条三項に規定する「本案について理由がないとみえるとき」の解釈を明らかに誤ったものであり、本件執行停止の申立ては、「本案について理由がないとみえるとき」に該当するものである。

1 原決定は、本件退去強制令書発付処分に至る手続に関し、抗告人が疎明資料として提出した入国審査官作成の審査調書及び陳述書記載の「やり取り及び説明は、すべて通訳人を介して行われているのであるから、通訳人が適正に通訳を行っていて初めて、右入国審査官作成の審査調書及び陳述書は疎明資料として意味を持つものというべきであ」るから、「右疎明資料だけでは、直ちに、本件退去強制令書発布処分に至る手続に関して何ら違法な点はなく、『本案について理由がないとみえるとき』に当たるものとはいい得ない。」と判断した上で、通訳人の通訳の適正性について、「通訳人の陳述書の内容と申立人の供述内容とが真っ向から対立している状態にあるのであるから、右通訳人の証人尋問が未了の現段階においては、右疎明資料だけでは、直ちに、本件退去強制令書発付処分に至る手続に関して何ら違法な点はなく、『本案について理由がないとみえるとき』に当たるものとは断じ得ないものといわざるを得」ないと判断しているが、右判断は、行訴法二五条四項の定める「疎明の程度」を誤解した失当なものである。

すなわち、行訴法二五条四項は、執行停止の決定は疎明に基づいてする旨規定しているが、疎明とは、その事実について裁判官に一応確からしいとの推測を生じさせる程度の証拠を提出することであるから、裁判官が「本案について理由がないとみえるとき」と認定判断する際の心証の程度は、証明の程度に達していなくても、一応確からしいとの心証に達していれば、右要件に該当するものと判断しなければならないのである。

ところで、原決定は、本件において、右要件に該当しないと判断する理由として、単に現在の疎明の段階では、通訳人の陳述書の内容と相手方の供述内容が真っ向から対立しているから、本案事件における通訳人の証人尋問が終了しないとこの点を判断できないことを理由としているのである。しかしながら、疎明においては、もともと通訳人の証人尋問を行うことはできないから、これが終了しなければ執行停止の要件を判断できないことになれば、事実上控訴人が右要件を疎明することは不可能になるばかりでなく、通訳人の証人尋問が終了すれば、原決定が問題とする通訳人の通訳の適正性については、本案訴訟としての判断が可能になるのであるから、原決定の判断は、結局本案訴訟としての判断が可能になるまでは、執行停止の右要件についても疎明の程度に達しているかどうかの判断ができないといっているに等しいことになるが、このように、実質的に本案訴訟の証拠調べが終了しなければ、疎明の程度に達しているか否かを判断できないとすることは、執行停止の申立てについて疎明の程度で足りるとする行訴法二五条四項に違反するばかりでなく、同条一項の執行不停止の原則を空文化するものであって到底許されない。

また、本案訴訟の判断が可能になるまでは、「本案について理由がないとみえるとき」に当たるか否かが判断できないとすることは、右要件の該当性について、実質的には、疎明の程度では足りず、証明の程度に達することを要求していることになる。このことは、原決定が、処分に至る手続に関して何ら違法な点はなく、「本案について理由がないとみえるとき」に当たるものとは断じ得ないとして、右要件に該当するには「断定できる」ことを要求し、疎明の程度ではなく、証明の程度を判断する際の表現を用いていることからもうかがえるところである。そうすると、原決定の判断は、「本案について理由がないとみえるとき」の心証を、実質的には一応確かであるらしいとの疎明の程度より高度の確信を要求する「証明」の程度まで高めているものであるから、原決定には、その意味でも行訴法二五条四項に明らかに違反する違法がある。

2 抗告人は、原審において、本件退去強制手続が適法にされたことを疎明したのに対し、相手方は実質的にこれを弾劾していないから、抗告人による疎明は、疎明の程度に達していないとはいえない。

(一) 抗告人は、いずれも相手方がその内容を確認した上で署名指印した入国審査官に対する審査調書(疎乙第一号証)、相手方が法二四条一号に該当する旨の認定通知書(疎乙第四号証)、右認定に服し法四八条一項による口頭審理の請求を放棄する旨の口頭審理放棄書(疎乙第五号証)並びに相手方が口頭審理請求権の放棄をその内容を十分理解した上でしたものであることを供述内容とする相手方にかかる本件退去強制手続を担当した入国審査官及び通訳人の各陳述書(疎乙第七、第八号証)等の資料により、相手方に対して、本件退去強制令書発付処分に至る手続の説明が通訳人を介して正確にされ、かつ、相手方がその内容を十分に理解した上で口頭審理放棄書に署名し、真意から口頭審理を放棄したことを明らかにし、本件退去強制手続は、適法要件を具備し何らの瑕疵がなく、本件が「本案について理由がないとみえるとき」に該当することを疎明した(なお、右資料によれば、実質は証明の程度に達しているというべきである)。

(二) 右のように抗告人が、本件退去強制手続が適法要件を具備し、本件退去強制令書発付処分に何らの瑕疵のないことを主張・疎明した場合において、「本案について理由がないとみえるとき」に該当しないとするには、相手方において、本件退去強制令書発付処分に違法性が存在すること、すなわち、相手方に対する特別審理官への口頭審理請求権の告知及び相手方の口頭審理放棄手続が違法である疑いの存在することを具体的に疎明しなければならないことになる。

この点について、原決定は、通訳人の通訳の適正性が争点の一つであるとして、この点に検討を加え、「申立人は、本案訴訟における原告本人尋問において前記審査調書の内容等からすると通訳人は必ずしも申立人が話したとおりには通訳していないし、口頭審理放棄書については、申立人が帰国するための手続としか説明を受けておらず、口頭審理やその放棄についての説明はなく、通訳人が陳述書において、このように説明したとして記載している中国語についても、聞いたことはない旨供述しており、」として本案訴訟における原告本人尋問の内容を引用している。

しかしながら、一般に執行停止の審理が本案の審理と併行して行われているときは、本案の資料を執行停止手続に提出できると解されているが、本件においては本案訴訟における原告本人尋問の調書は執行停止の審理において疎明資料として提出されておらず、その点で右本案訴訟における原告本人尋問の結果が疎明資料として使用されていることには手続的に疑義がある。

また、その点はさておくとしても、右原告本人尋問の結果によれば、相手方は、通訳人が広東省の出身で、非常に話しやすいため、お互いにいろいろな話をしたと供述しているのである(一九二項)から、通訳人の話は基本的に理解できていたと考えられる。そうすると、原決定のいう通訳人の通訳の適正性については基本的に問題がないと考えられ、その他の問題としては、通訳人が審査官のいうことが理解できず、正しく通訳できなかったか、審査官が言うことと違うことを通訳したかなどが一応考えられるが、通訳人は一九八九年(平成元年)から今まで約五〇〇人位の中国人の取り調べで通訳の仕事をしている(疎乙第八号証)上、本件全疎明資料を通じても、右のような問題があった疑いを生じさせるような事実は見当たらない。そうすると、原決定のいう通訳人の通訳の適正性については、何らこれを疑わせる疎明資料はないから、むしろ本件では通訳人は通訳を適正にしたことが疎明されているといえる。

以上の検討によれば、本案の原告本人尋問の結果によって通訳人の通訳の適正性について疑義があるとした原決定は誤りであり、したがって、相手方が提出した疎明資料について、「通訳人が適正に通訳を行っていて初めて、右入国審査官作成の審査調書及び陳述書は疎明資料として意味を持つものというべきであり、右疎明資料だけでは、直ちに、本件退去強制令書発付処分に至る手続に関して何ら違法な点はなく、『本案について理由がないとみえるとき』に当たるものとはいい得ない。」とした原決定の判断は、その前提を欠くことになる。そうすると、その他に右疎明資料について、これが疎明として十分でないことの理由を説明していない原決定には、理由齟齬、理由不備の違法があるといわなければならない。

(三) なお、原決定の引用する本案の原告本人尋問の結果によれば、相手方は入国審査官から口頭審理請求権の告知を受けたことはなく、口頭審理放棄書については内容について説明を受けることなく署名したと供述しているものであるから、原決定の理由を善解すれば、結局口頭審理請求権告知及び口頭審理放棄書の内容の説明をしたかどうかについて、「通訳人の陳述書の内容と申立人の供述内容とが真っ向から対立している状態にあるから、右疎明資料だけでは、」直ちに「本案について理由がないとみえるとき」に該当すると判断できないとしたものと解することもできる。

しかしながら、このような場合は、まず口頭審理放棄書に署名がされている事実が当然重視されるべきであり、しかも右口頭審理放棄書の真正について入国審査官及び通訳人の陳述書によって疎明されているのであるから、特段の事情が認められない限り、口頭審理放棄書の証明力は失われないはずである。

これに対して、原告本人尋問の結果は、通常相手方の主張と同じであるから、そもそも口頭審理放棄書の証明力と同列に考えることができず、原告本人尋問の結果がそれなりに疎明として意味をもつためには、単に相手方の主張に沿う内容であることにとどまらず、具体的に相手方の主張が正しく、抗告人の主張が疑わしいことを推認させるに足りる客観的かつ具体的事実が述べられている必要があり、そうでない限りは、その疎明の程度は極めて低いものといわなければならない。ところが、右原告本人尋問の結果を精査しても、相手方の供述は単に入国審査官から口頭審理請求権の告知を受けたことはなく、口頭審理放棄書については内容につい説明を受けることなく署名したというのであるから、これは抗告人の主張の単なる否認にとどまるものであり、右のような客観的かつ具体的な事実は何ら見当たらないのである。したがって、右原告本人尋問の結果は、疎明としては意味がないものといわなければならない。

そして、前記のとおり抗告人が、本件退去強制手続が適法要件を具備し、本件退去強制令書発付処分に何らの瑕疵のないことを主張・疎明した場合において、「本案について理由がないとみえるとき」に該当しないとするには、相手方において、本件退去強制令書発付処分に違法性が存在すること、すなわち、相手方に対する特別審理官への口頭審理請求権の告知及び相手方の口頭審理放棄手続が違法である疑いの存在することを具体的に疎明しなければならないところ、右原告本人尋問の結果のほかにはこれを疑わせる疎明資料がないのであるから、本件においては、「本案について理由がないとみえるとき」の要件について疎明がされたことは明らかというべきである。

そうすると、原決定の判断は、実質的には口頭審理放棄書と原告本人尋問の結果を同列に並べて、口頭審理放棄書の証明力を故意に無視したものといわざるを得ないから、この点からみても、原決定には、疎明資料の評価を誤り、「本案について理由がないとみえるとき」の解釈適用を誤った違法がある。

(四) なお、付言するに、本件について、この程度の疎明によって、「本案について理由がないとみえるとき」に当たるとすれば、本件類似事案においても、特別審理官への口頭審理請求権の告知及び相手方の口頭審理放棄手続が違法であったと主張し、本人が口頭審理請求権の告知及び口頭審理放棄書の内容についての説明がいずれもなかったと否認しさえすれば、原則として執行停止が認められることになりかねないが、そのような結果は、行訴法二五条一項の執行不停止の原則に反する結果となるから、この点においても原決定の判断は不当である。

二 原決定は、本件退去強制令書に基づく送還が執行されると、相手方は事実上本案訴訟を維持することができず、たとえ本案訴訟で勝訴しても回復困難な損害を被ると判断している。

しかしながら、既に原審における抗告人の意見書の第三で述べたとおり、本件退去強制令書の執行により相手方が本国に送還されたとしても本件に係る本案訴訟については、既に訴訟代理人が選任されており、相手方が送還された後の本案訴訟の遂行についても、通信の手段が発達した現在においては、必要な連絡を行うことは十分に可能である上、相手方が本人尋問等で出廷するため本邦に入国しようとする場合には、その時点で改めて相手方において所定の手続をとって、本邦に入国することも可能であるから、本案訴訟の維持には何らの障害もないのである。

さらに、原決定のいうように訴訟維持という利益が失われることをもって、行訴法二五条二項に規定する「回復の困難な損害」に当たるとすることは、提訴ないし訴訟継続という事実それ自体を理由として執行停止の必要性を認めるものにほかならず、かかる解釈が許されるならば、処分取消しの訴えの提起がありさえすれば常に執行停止の効果が生じることとなり、行訴法二五条一項の執行不停止の原則は空文化することになる。

そうすると、原決定には、「回復困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」の認定判断を誤った違法がある。

三 原決定は、本件において、本件退去強制令書に基づき送還部分の執行を停止することによって、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると認めるに足りる資料は存しないと判断している。

しかしながら、本件は、中国から蛇頭の手引きにより大量の中国人が不法入国をはかったという世間の注目を集めた事件であり、相手方がその一人であることは、福岡地方裁判所で平成七年七月二九日に言い渡された相手方に対する刑事判決(疎甲第三号証)で十分疎明されている。そして、今後も本邦における就労を目的とした不法入国者が続出することが懸念されているところ、原決定程度の理由により、安易に本件退去強制令書の執行停止が許容されるなら、退去強制令書発付を受けた者の速やかな送還を不可能とすることになり、ひいては出入国管理行政の迅速かつ円滑な執行を長期間にわたり停滞させることになる。

したがって、本件執行停止の申立てを一部でも認容することが公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれを生じさせることは、本件疎明資料により十分疎明されているから、原決定には、疎明資料の評価を誤り、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある」ことの解釈判断を誤った違法がある。

別紙(二)

第一 抗告の趣旨に対する答弁

一 本件即時抗告を棄却する。

二 申立費用及び抗告費用は抗告人の負担とする。

第二 抗告の理由に対する反論

一 退去強制に対する執行停止における立証責任

1 行政法二五条二項は、執行停止の積極的要件として①本訴の適法な係属、②回復困難な損害を避けるため緊急の必要があることをあげており、消極的要件として③本案について理由がないとみえるとき、④公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることをあげている。

そして、右積極的要件の疎明責任が申立人にあり、右消極的要件の疎明責任が処分権者側にあるということは、その規定の仕方からみても明らかである。

2 ところで、これら積極的要件と消極的要件のそれぞれについて、どの程度の疎明が要求されるかは、執行停止制度が果たす役割をどう考えるかによって決っせられる。

この点抗告人は「執行不停止の原則」をふりかざし、原決定が、「本案について理由がないとみえるとき」の要件に比較的高度な疎明を求めたことを非難している。

しかしながら、そもそも「執行不停止の原則」は、行政行為の本質からくるものではなく、行政の円滑な実現という政策的配慮にもとづくものとするのが通説である(雄川一郎「有斐閣法律学全集・行政争訟法」一九八頁等)。

とすれば、執行停止の拒否を決定するにあたっては、執行停止原則の例外を厳格に考える必要性はなく、執行を必要とする公共性の要請と、それによって個人が被る被害の大きさ、事後救済の可能性などを比較衡量し、むしろ人権の擁護に遺憾のないよう運用をはからねばならない。すなわち、執行停止の原則を貫くと、不可避的に申立の負担と申立却下の危険を被処分者に負わせることになるので、適正な運用を通じて、この負担と危険を最小限にとどめる必要があるのである(山村-阿部編 判例コンメンタール二三四頁)。

3 具体的には、裁判所は、執行停止の必要性(前記②)が認められるならば、原則として執行停止を認めるべきであって、③と④の消極的要件については、行政側からの特段の事由の主張と高度な疎明のない限り、これを考慮する必要はない(同旨、原田尚彦「退去強制に対する仮救済の問題点」ジュリスト四八三号三六頁)。

とくに、退去強制令書に対する執行停止の申立事案においては、裁判所が執行停止を認めないと、身柄が国外へ追放される結果を生じるので、それが実質的には終局判決による敗訴と同様の効果をもって通用する結果となり、かかる事態は、執行停止制度の趣旨を全く没却するものである。

従って、退去強制令書の執行停止の判断にあたっては、回復困難な損害が退去強制に随伴することに鑑みて、原則的に執行停止を認めるように運用し、原告に裁判を受ける機会を保障するのが正当である(同旨、前掲原田論文)。

4 従って、原決定が「本案について理由がないとみえるとき」の要件について抗告人に高度な疎明責任を負わせることは、それは右のとおり極めて正当なものである。

二 「本案について理由がないとみえるとき」には該当しないこと

1 右1に述べたことからすれば、行政側が行う「本案について理由がないとみえるとき」の疎明の程度は、申立人が行う「本案について理由があるとみえる」ための疎明の程度を大きく上回っていなければならない。

言い換えれば、行政側が疎明資料として提出した証拠の信用性が乏しかったり、あるいは、行政側が提出した疎明資料に反する資料を申立人側が提出して弾劾したような場合には、ここにいう「本案について理由がないとみえるとき」にあたらないのである。

2 本件では、抗告人は、被抗告人(以下「申立人」という)の署名のある審査調書(疎乙第一号証)、口頭審理放棄書(疎乙第五号証)等の書類と、それらの作成にかかわった入国審査官及び通訳人の各陳述書(疎乙第七号証、乙第八号証)を提出しているのみである。

しかし、各書類に申立人の署名があったとしても、その内容は日本語であるから申立人自身が確認することはできないし、従って、原決定が述べるように「通訳人が適正に通訳を行っていて初めて、右入国審査官作成の審査調書及び陳述書は疎明資料として意味をもつものというべきである」。すなわち、各書類に通訳の過程が何ら記載されていない以上、各書類のみでは疎明資料としては無意味であり、適正に通訳がなされたことが他の方法によって十分疎明されることが必要なのである。

この点、抗告人の提出している通訳人の陳述書には、通訳を適正に行った旨の記載があるが、その陳述書が通訳人みずから記載したものなのかどうかも明らかではなく、その内容が真実であるか否かも、通訳人を反対尋問してみなければわからない。また、内容自体も全体的に抽象的で、具体性を欠く。従って、陳述書の疎明力ははなはだ弱い。

3 これに対し、申立人は、本案訴訟における本人尋問において、「通訳人は必ずしも申立人が話したとおりには通訳していないし、口頭審理放棄書については、申立人が帰国するための手続きとしか説明を受けておらず、口頭審理やその放棄についての説明はな」かった旨と述べているのであり、通訳人の陳述書の内容を否定している。

そして、この証言は、裁判官の面前で行われ、抗告人の反対尋問にも崩れなかったのであるから、その信用性・疎明力については非常に高いものである。

この点、抗告人は、「原告本人尋問の結果は、通常相手方の主張と同じであるから、…抗告人の主張が疑わしいことを推認させる客観的かつ具体的事実が述べられている必要があ」り、本件においてはかかる具体的事実が述べられていないと主張する。

しかし、申立人の供述中には、取調の状況(回数、相手方、部屋の様子など)について正確な事実がのべられているうえ、入管職員や通訳とのやりとりについて、具体的な描写が随所にみられる(例えば六九項、七二項、七五項〜七七項、九五項〜九七項、一〇〇項〜一〇二項、一一九項〜一二二項、一三二項〜一三六項、一三八項、一五〇項等)。そし、認定通知や放棄書については、そもそも本来の説明を受けていないのであるから、「知らない」という以上の具体的説明はできなくて当然なのである。

なお、抗告人は、この証人尋問の結果について、執行停止事件に調書として提出されていないことを指摘しているが、執行停止を審理する裁判所は本訴の裁判所と同一であるから、本訴においてなされた証拠調の結果は、執行停止を審理する裁判所にとって「職務上顕著な事実」であり、かつ、右証拠調には抗告人も立ち会っているのであるから、手続的に問題はない。

4 以上のとおり、抗告人が行った疎明の程度は、申立人によって弾劾され、申立人が行った「本案について理由があるとみえる」ための疎明の程度を下回っているのである。

従って、原決定が「本案について理由がないとみえる」とは断じえないとした判断は極めて正当である。

なお、抗告人は、通訳の証人尋問が終了しなければ疎明の程度に達しているか否かを判断できないとすることは、本案判断が可能になる程度までの疎明、すなわち、「疎明」ではなく「証明」の程度を要求するものであると非難する。

しかしながら、疎明の程度は、それと対立する反対疎明に影響されるのであり、原決定は、原告本人尋問の結果を考慮すれば、抗告人の疎明が、疎明として不十分と判断せざるを得ないとしているに過ぎない。

また、前記一で述べたように、退去強制については訴えがあれば原則として執行停止すべきである以上、高度の疎明を要求することは正当なのである。

5 なお、申立人は、本訴において、主位的請求として口頭審理放棄手続における瑕疵を理由とする退去強制令書発付の取消の他、予備的請求として、刑事裁判が終了するまで退去強制令書が執行できないことの確認も求めている。

すなわち、憲法三二条は外国人に対しても裁判を受ける権利を保障し、国際人権規約(B規約)一四条は、上級裁判所の裁判を受ける権利や裁判に自ら出頭する権利があることを認めている。

とすれば、退去強制手続と刑事手続との関係を規定した入管法六三条二項の「退去強制令書が発付された場合には、刑事訴訟に関する法令…の規定による手続が終了したあと、その執行をするものとする」という文言は、「刑事訴訟の判決が確定するまでは、強制送還を執行してはならない」という意味に解釈すべきことは明らかである。

このように、申立人の主位的請求だけではなく、予備的請求にも理由はあるのであるから、抗告人が「本案について理由がないとみえる」ことを疎明するためには、右予備的請求が理由がないことまでも疎明しなけばならない。

しかし、かかる疎明はなんらなされておらず、いずれにしろ、「本案について理由がないとみえる」とは認められないのである。

三 「回復困難な重大な損害」が認められること

1 原決定が「送還部分の執行が行われた場合には、申立人は事実上本案訴訟を維持することが著しく困難となるのみならず、たとえ、本案訴訟で勝訴の確定判決を得たとしても、再入国その他送還執行前に申立人が置かれていた現状を回復しえる制度的保障が確立しているとは必ずしもいえない以上」、回復困難な損害を被ることが明らかであると判断したのは極めて正当である。

この点、抗告人は、訴訟代理人が選任されているのであるから、中国に送還されても訴訟遂行が可能である、さらに必要な場合には所定の手続きをとって本邦に入国することも可能と主張する。

しかし、中国に送還されたら、退去強制令書を取り消すべき法律上の利益がなくなったとして、本訴自体が却下されてしまう可能性が大である。

また、入国については、退去強制後一年間は入国が法的に不可能であり、その後も裁量によって拒否されることが予想されることは、原審において述べたとおりである(入管法五条九号)。申立人は、原審において「いかなる手続きで再入国をすればいいのか、その際入管は入国を許可するのか」と釈明を求めたが、抗告人は何ら回答していない。このことは、再入国ができないことを事実上認めていることに他ならない。

2 また、抗告人は、原決定は、提訴ないし訴訟係属という事実それ自体を理由として執行停止の必要性を認めたものであり、行政訴訟法二五条一項の執行不停止の原則に反すると主張する。

しかし、前記一で述べたように、本件のような退去強制令書の執行停止事件は、いったん執行されてしまうと本案判決と同等の結果がもたらされてしまうという特殊性があるのであり、原則として執行停止にするという運用こそ適切妥当なのである。

現に、東京高裁昭和四三年四月一六日決定(判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕二二四号二五二頁)や、大阪地裁昭和四九年五月二八日決定(判例時報七五九号三六頁)、福岡地裁平成二年六月八日決定(公刊物未搭載)も、もっぱら本訴続行の困難性や裁判を受ける権利の侵害を理由に、退去強制令書の送還部分の執行を停止したものである。

かかる一連の判決の流れは、強制送還のもたらす損害の重大性と不可償性を考慮すれば、司法救済の実効性確保の見地から是認されるべきものである(同旨、前掲原田論文)。

四 「公共の福祉に重大な影響を及ぼす恐れ」がないこと

1 原審において、抗告人は、右「公共の福祉に重大な影響を及ぼす恐れ」という要件について何らの具体的主張も疎明もしていない。

抗告人は、申立人は、大量密入国事件の一味であると主張するが、申立人に密入国罪が成立するかどうかは、現在控訴審で争っており、何ら確定されたものではない。

また、抗告人は、申立人の退去強制が停止されることによって、公共の福祉にいかなる重大な影響が生じるかを具体的に明らかにしていない。単に「入管行政の迅速かつ円滑な執行を長期間にわたり停滞させる」というだけでは、あまりにも抽象的である。

現に、他の中国人は皆円滑に帰国しており、申立人一人の収容について、大村入管センターが困っているという話も聞かない。

そもそも、退去強制令書発付手続きを争って訴訟を提起する者はきわめて少数であるから、提訴した者については原則として執行停止という取扱をしても、重大な弊害は生じることはない。

2 申立人は、現在刑事裁判の被告人として、控訴審が係属中である。この刑事裁判は、検察官が国家機関として申立人を起訴したことに始まり、一審判決に対して被告人が控訴したことから、これを受けて高等裁判所が、判決に向けて鋭意審理しているものである。

にもかかわらず、もし入管が申立人を現段階で強制送還すれば、被告人が控訴審に出廷する権利を行使することができなくなる結果、刑事裁判は中断してしまう。

すなわち、刑事控訴審においては、被告人が出頭したくないと考えた場合には弁護人のみが出頭して開廷できるのであるが(刑訴法三九〇条)、「被告人には公判期日に出頭する権利は有する」というのが最高裁の判例である(昭和四四年一〇月一日決定 判例時報五六九号二一頁)。従って、被告人が出廷する意思を表明している場合には、裁判所としては、被告人が強制送還されたとしても、被告人に呼出状を発し、日本へ入国させて出廷を確保しなければならない。ところが、国際司法共助制度のない中国においては呼出状の送達は不可能であるし、中国が出国を認めあるいは日本政府が入国を許可するかどうかの制度的保証もない。その結果、刑事裁判は進行させることができず、中断してしまうのである。

そうなると、かえって、申立人を強制送還することこそ、国家の刑事司法作用という公共の福祉に対する重大な影響を生ぜしめることになるのである。

五 結論

以上のとおり、抗告人が執行停止の消極的要件を疎明しているとは到底認められないことは明らかであるから、本件即時抗告は棄却されるべきである。

別紙(三)

一 本件本案訴訟は、主位的請求で、口頭審理放棄手続の違法等を理由に本件退去強制令書の発付を取り消すことを求め、予備的請求で、原告の刑事裁判を受ける権利を理由に申立人の刑事裁判確定まで強制送還をしてはならないことを求めている。

これらの請求は、いずれも、外国人に対する入管手続・刑事手続上、これまで何度となく疑問視にされながら、解決されないで放置されてきた問題点であり、次のような意義を有しているから、本案訴訟判決があるまで強制送還を停止した原決定は維持されるべきである。

二 主位的請求において、我々は入管において、被疑者の言い分が十分に聞かれ、人権保障のいきとどいた手続がとられることを求めている。

入管法は、そもそも成立の過程において法制審議会や諮問委員会などを経ることなく成立したため、非常に権力的、裁量的色彩の濃いものとなっている。そして、外国人労働者問題が注目されるようになって以降、入管行政は、外国人をできるだけ排除する方向で、これらの裁量を恣意的に行使してきた。

しかしながら、これまで弁護士等がその手続に関与することが少なかったため、外国人がどのように取り扱われているかについて、司法的チェックが働くことは稀であった。そのような中で、本件申立人のように、自己の有する権利について正確に告知されず、「帰れ」という圧力の中で泣く泣く送還を受け入れてきた外国人は数知れないであろう。

本件は、このような声なき犠牲者を代表した申立人が、現在の入管手続の実体を明らかにし、弾劾し、適正手続きの保障された入管手続の実現を求めるものである。そして、裁判所がこの声に応えることにより、申立人はもとより、これから入管手続に乗せられる多くの外国人に適正手続きが保障される動力となるものである。

三 予備的請求において、我々は、外国人が刑事訴追され、無罪や量刑不当を争っている場合には、強制送還の不安に脅かされることなく、最後まで刑事裁判を戦えるような環境を求めている。

我々が本件行政訴訟を提訴したきっかけは、この予備的請求であり、我々が裁判所の判断を最も期待している点である。

すなわち、平成六年五月の中国人大量入国事件で起訴された中国人の多くが一審で無罪を主張しながら、全員有罪判決を受けてしまった。しかし、申立人はその判決にどうしても納得がいかず、控訴した。一審の国選弁護人は任務終了となるが、通常であれば一箇月程度後の国選弁護人選任を待てばよかった。

しかし、一審判決後、入管はただちに退去強制手続を開始し、申立人を入管に収容し、強制送還しようとしたのである。福岡県弁護士会刑事弁護等委員会でその報告を受けた我々代理人は、国選弁護人の選任を待つ暇はないと判断し、急遽、無報酬で弁護団を結成した。そして、申立人の裁判を受ける権利を守るため、また、これから同様の立場に立たされるであろう多くの外国人の裁判を受ける権利を守るため、本件訴訟を提起したのである。

刑事手続と入管手続との関係については、これまでも、様々な角度から問題点が指摘されていたが、その一つは、刑事手続中に在留期間が満了するような場合、本人が拘束されていて更新手続が十分に行えない結果、不法残留となり退去強制されてしまうという問題であった(自由人権協会「提言刑事司法と外国人の人権」等)。さらに、こうして在留資格を失った者は、たとえ日本国内に住所があり、罪証湮滅の恐れもないにも係わらず、保釈が認められない(あるいは認められると直ちに入管に収容される)という問題であった(甲第 号証 大分の事件等)。

これらはいずれも、入管が、刑事手続に乗せられた外国人の人権に全く配慮せず入管手続を行ってきたこと、また、それを裁判所も追認してきたことを意味している。そして、本件のような刑事裁判途中での強制送還の問題もまた、入管手続が刑事被告人の権利を侵害する究極の例として、実務家の中でクローズアップされてきたのである(乙第 号証 ジュリスト特集記事)。

入管法六三条と退去強制手続との関係は、これまで、保釈に対する準抗告、保釈後の入管収容に対する人身保護請求という形で裁判上議論されたことはあったが、我々の知る限り、本件のように、裁判中の強制送還をするなという純粋な差止請求の形では争われたことはなかった。その意味で、本件事件においては、過去の裁判例にとらわれることなく、新たな視点での判断が可能である。

従って、本案裁判所に対しては、本予備的請求に対する判断が、今後のリーディングケースとなる可能性があることを十分考慮し、国際社会といわれる日本における外国人の人権保障にもとることのなきような判決を出されることを強く期待しているところである。

四 以下は、本案訴訟の各論点について、当方の主張を最終的に整理したものであるが、以下論ずるところによれば、本案訴訟に勝訴の見込みがあることは明らかであるので、本件執行停止は維持されるべきである。

第一 主位的請求について

一 退去強制手続にも主観的要件が必要であること

1 退去強制手続きのように、行政手続において課される制裁についても、それを課される者に強い不利益を与える場合には、主観的要件は必要とされると解すべきことは、訴状及び平成七年一月一〇日付準備書面で既に述べたとおりである。

2 本件において、申立人に不法入国罪の故意がないことは、これまで申立人が提出してきた刑事裁判上の証拠書類、尋問調書を見れば明らかである。

特に、九州大学言語文化部教授の岩佐教授は、鑑定書(疎甲二五号証)や証言(疎甲二六号、八六号証)の中で、申立人が所持する協議書は、その使用されている文言を通常の中国人が見ると「正規の手続」を目的としたものであると信じるのが自然であること、また、中国では「正規の手続」であっても、庶民が自ら行うことは困難であり、コネのある人物に多額の金員を支払って手続を代行してもらうことが多々あること等が指摘されている。

また、申立人と共に弟金程から本件入国の斡旋を受けた王招振も、我々と面談した際のテープの中で、「本物の乗員手帳をやると言われた。正規の手続であると思っていた」と証言している(疎甲七七号証)。

このように、故意がなかったという申立人の主張は、これらの証拠によっても裏付けられているのであり、申立人の無罪は明らかである。

3 従って、申立人は、入管法二四条一号の密入国をしたという故意を欠くので、右認定を理由とした本件退去強制令書は違法である。

二 口頭審理放棄書取付の手続に違法があること

1 適正な通訳がなされていない違法

いわゆる林桂珍事件に関する福岡地裁平成四年三月二六日判決(判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕七八七号一三七頁)は、違反審査においては、退去強制手続が容疑者に重大な不利益を課す点で刑事手続に類似した性格であることから、「容疑者の主張、弁解の機会を適正に保障するという観点から、入国審査官は、その冒頭において、容疑者に対して少なくともこれから始まる入国審査手続の目的及びそれの結果としてもたらされる効果を理解させ、容疑者に十分な主張、弁解を行う機会を与えるべきもの」と判示している。

これらの要請の中には、当該外国人が日本語を解さない場合には、当該外国人が理解する言語の通訳人が確保され、その者が入国審査官の説明を適切に被疑者に通訳し、かつ、容疑者の主張・弁解もすべて入国審査官に伝達することという要請が当然に含まれていることは明らかである。

なぜなら、当該外国人は、通訳人を通してしか入管手続を理解することはできないし、主張・弁解も伝えることはできないからである。言い換えれば、審査官がいかに正確に説明しても通訳が間違えば、当該外国人も間違った理解・判断をするのである。

その意味で、審査官には、通訳人が審査官の言った説明を間違えて通訳することを防止する義務があるばかりでなく、通訳人が個人的に容疑者と雑談するようなときにも、通訳人が容疑者に対して間違ったことを言ったり、不当に圧迫を加えることを防止すべき義務があるというべきである。

執行停止申立事件に対する平成七年三月三一日付執行停止決定の中で、裁判所は、口頭審理放棄の手続き上作成された書面に申立人の署名がある点について「これらのやりとり及び説明は、すべて通訳人を介して行われているのだから、通訳人が適正に通訳を行っていて初めて、右入国審査官作成の審査調書及び陳述書は疎明資料として意味を持つ」と述べたが、まさに、入管手続の中での通訳の適正の要求を宣言したものといえるだろう。

しかし、本件においては、以下に述べるとおり通訳人山が適正に通訳を行ったとは到底認められず、本件退去強制令書発付の手続には違法があったことは明らかである。

(1) 通訳が口頭審理請求権等の説明を行っていない違法

申立人は、第一回の違反調書の時から一貫して、入管職員に対して、「自分は騙された」「事情ははっきりしない上でそのまま帰りたくない」等と主張していた(申立人本人尋問七六項、八一項、一一八項)。

これが事実であることは、前回行われた山証人の尋問の結果によっても裏付けられている。

すなわち、山証人は、申立人から「何とか日本にいたんだと、どうにかならないだろうかというような」話を受けている(尋問一三三項)。そして、その理由として「皆さんと一緒に帰国するならば…罰金を支払わんといかん、それで何とか日本に滞在する期間を延ばせば、実費で帰国する場合は上海空港出て、その身が自由になりますから」と述べているのである(尋問一三五項)。その様子は「あらゆる手を使って日本にいる期間をのばそうということをやってみようという」感じだったのである(尋問一四二項)。

これらのことから考えると、申立人が、さらに口頭審理という手続があることを知っていれば、それを請求して日本に滞在する時間を延ばして自己の希望を全うしようとするのが自然である。申立人もそう述べている(申立人本人尋問一五三項)。ましてや、疎乙第一号証末尾のように「一日も早く中国に帰国したいので」などと述べることは絶対にありえない。

そうすると、申立人が本人尋問で主張したように、申立人は口頭審理請求権の告知を受けておらず(一三九項)、認定通知書や口頭審理放棄書については「将来帰国するための手続だからサインしてくれ」とだけしか説明を受けていない(一三八項、一四七項、一五〇項)ことが真実であることは明らかである。

(2) 仮に万一、申立人がその時点で、口頭審理請求を諦めて帰国を受け入れるようなことがあったとしても、その原因は山証人が、通訳としての職分を越え、自己の不正確な判断にもとづいて、申立人ら中国人に対して、誤った説明・不当な説明をしたためである。

すなわち、山証人は、第一に、不法入国は「パスポート及び船員手帳を持たずに入国したこと」と単純に理解しており、申立人にもそう説明している(山尋問七一項、九五項)。しかし、入管法上、密入国を理由として退去強制するためには故意が必要であることは既に述べたとおりであり、右説明は誤った説明である。

第二に、山証人は、口頭審理請求は、「認定に不服があり、しかも、自分が不法でないという証拠があれば」できるという説明をしたというのである(疎乙第八号証、尋問一五四項、一五五項)。

しかしながら、入管法四七条、四八条によると、口頭審理請求をするのに「証拠」を要件とするようなことはなく、全く自由になしうるのであり、山証人の説明は法律に反するものである。

そのうえ、山証人は、その「証拠」とはパスポートとか船員手帳でなくてはならず、申立人の所有する契約書のようなものではだめである、「いくら申請しても結論は同じであろう」等と申立人に説明している(尋問一五六項、一五七項、一六一項、一六二項、一七一項)。そして、申立人が審査の日の午後契約書を持参しているのをしっていながら(尋問一〇三項〜一〇五項)、「印鑑や指紋がないからだめだ」などと言って入国審査官に伝えなかったのである(尋問一〇七項)。

これらは、入管職員の言葉を通訳することを越え、権限なく不当な説得を行うものであり、冒頭に述べた主張・弁解を十分に与えるという要請に反するものである。

(3) 通訳が偏見を持ち、中立に通訳をしていない不当性

右に述べたような違法な通訳がなされた理由は、山証人が本来通訳として必要とされる中立性を有していなかった点にある。

山証人は、これまで五〇〇人の通訳をしていると陳述書で述べていたが、それは、すべて入管手続きに関し、入管当局から依頼を受けてなした通訳である(山尋問二項)。

通訳人は機械ではないから、五〇〇回も入管から依頼を受けて通訳を行っていれば、自然に入管の意向に沿うよう通訳しようという心理が働く。そして当該外国人を速やかに国外退去させるべきという発想になってしまうのである。

現に、山証人は、特別在留許可は、「日本人を嫁にするか、あるいは商売で貿易を大きくするか」しないと当てはまらないという偏見をもち(尋問一七九項)、申立人に対する取調においても、最初から不法入国であること前提に対応し(尋問一八〇項、一八一項)、前述のように口頭審理請求をやめさせる方向で説得をしたりしているのである。

入管手続に乗せられた外国人にとって、通訳人、特に同郷人の影響力は絶大なものがある。入管当局は、しばしば、入管の意向を受けた通訳人が、帰国を拒否する当該外国人を説得することを放置し、これを利用して当該外国人の権利行使を諦めさせようとするが、このような運用が適正手続に反することは明らかである。

従って、通訳の中立性は強く要請されなければならない。

2 口頭審理放棄書を主任審査官がとりつけていない違法

本件口頭審理放棄書を取りつける手続きは、申立人の審査を担当した入国審査官村野真澄が行っているが、これは入管法四七条四項が「主任審査官」をもって放棄書とりつけ手続の主体としていることに反し、違法である。

この点について、前出の林桂珍事件判決(福岡地裁平成四年三月二六日・判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕七八七号一三七頁)は、次のとおり判示している。

「法四七条四項、五一条が退去強制令書の発付権限を入国審査官とは異なる主任審査官に与えている趣旨も、右令書の発付が、通常の場合には当該容疑者に対する終局処分になることを踏まえ、退去強制事由の有無の認定に当たった入国審査官とは別の主体であり、かつ、その上級者から指定される主任審査官をして、発付の当否や現実にどのような時期・形で退去強制を発付すべきかについて判断させるとしたものと考えるのが相当であり、その立場上、入国審査官のした認定についてのチェック機能を果たすことも期待されているものと見ることができる。

そして、容疑者が入国審査官の認定に服したとして口頭審理の放棄書に署名するにあたり、これを当該容疑者に対する入国審査の実施に当たった入国審査官自らこれを行うことを許容すると、自己の認定を押しつける結果ともなって適正でなく、また仮にその入国審査の手続及び認定に問題があったとしても、口頭審理の放棄書の作成により認定は確定することとなって、主任審査官に期待された適正手続保証のためのチェック機能が働かなくなる」。

右判断は極めて正当である。

これを本件についてみると、申立人の審理を担当した野村真澄入国審査官は、その陳述書(乙第七号証)の5項において、違反認定を行ったあと、自ら口頭審理放棄書に申立人の署名を求め、申立人から直接その交付を受けていることを明言しており、そこに法の要求する主任審査官の関与は全くない。

従って、本件口頭審理放棄書取りつけの手続は、入管法四七条四項に反して違法である。入管当局は、このような違法な手続きでの口頭審理放棄手続きを改めるべきことを、右林桂珍事件に際しても裁判所から指摘を受けていた。にもかかわらず、本件に見られるとおり、入管実務は全く改まっていないことが判明した。

よって、裁判所におかれては、本件のような場合には退去強制令書を取り消すという原則的判断をすることにより、入管当局に対して強い警告を発するべきである。

3 以上のとおり、申立人が口頭審理請求を放棄するに至る過程においてなされた通訳は適切に行われておらず、かつ、放棄書取りつけを法の要求する主任審査官が行っていないことは明らかである。

従って、右違法な手続きにもとづいて発付された本件退去強制令書は違法であり、取り消されるべきである。

なお、本件退去強制令書が取り消された場合でも、申立人には在留資格がないからいずれ送還されねばならない。従って、本件退去強制令書が取り消された場合でも、ただちに入管当局は、入管法二四条三号の「密入国には該当しないが、乗員上陸の許可等を受けずに本邦へ上陸したもの」という被疑事実で、まず収容令書を発付して申立人の収容を継続し、右事由で違反事実の認定をして退去強制令書を再度発付しようとするであろう。

申立人も、今後の手続きが適正手続きに則って行われるなら、それは止むを得ないと考えている。しかし、本件のように、杜撰な手続きによって発付された退去強制令書によって送還されるのは納得がいかないのである。

そして、その手続きを争うことにより、今後日本に入国した他の外国人に対して、入管手続きが適正に行われるための一助となるよう、戦ってきたのである。

第二 予備的請求について

一 刑事裁判途中での送還が裁判を受ける権利の侵害になることについて

1 外国人の裁判を受ける権利は憲法三二条が保障するところであり、また、国際人権規約一四条三項dは「自ら出席して裁判を受ける権利」を、同条五項は「上級裁判所による法律に従った判決」を受ける権利を保障している。

刑訴法上も被告人自ら出頭したくないと考えた場合には刑訴法三九〇条によって出頭せずとも開廷できる(出頭の「義務」はない)が、「被告人は公判期日に出頭する権利は有する」と、最判昭和四四年一〇月一日決定(判例時報五六九号二一頁)は明言しているのである。

2 本件において、刑事裁判中に送還されるということは、申立人の裁判を受ける権利、出頭の権利を一方的に奪われることに外ならない。

いったん送還されてしまうと、連絡がとれなくなってしまう可能性が強く、仮に連絡がとれたとしても、国際郵便や国際電話での連絡には様々な障害があり、事実上不可能である。

また、強制送還によって被告人質問ができなくなること自体被告人の防御権行使に対する重大な侵害である。

この点、相手方入管は、申立人自身の出廷等の必要が生じた場合には、所定の手続をとったうえで入国も可能であると主張している。

しかしながら、日本の入管法においても、退去強制から一年間は入国が認められていない(同法五条九号)し、中国政府が裁判出頭のために申立人の日本渡航を認めるとも考えられない。

3 入管法六三条は、刑事手続と入管手続の関係を規定するが、同条の「刑事訴訟に関する法令に関する法令の規定による手続」という文言は「身柄の拘束をともなう手続」に限定すべきでなく、身柄の拘束をともなわない手続も含むと解するべきである。

(1) まず、六三条には「刑事訴訟に関する法令の規定による手続」とあるだけで、何ら「身柄の拘束をともなう」などという文言による限定はなされていない。

(2) 次に、六三条一項は入管が「その者を収容しないときでも」、退去強制令書の発付ができると規定している。これを素直に読めば、日本語として、入管がその者を収容することも想定されているようにみえる。即ち、この規定は、刑事手続が進行している場合には入管が身柄を「収容する場合も収容しない場合もありうるのであろうが、収容しないときでも」退去強制令書発付の手続はできると言っているにすぎないのである。

このように、刑事手続中に入管が収容する場合も想定されているということは、ここにいう刑事手続きが身柄の拘束をともなわないものであることも想定しているということである。

従って、入管法六三条一項は、刑事手続上身柄が拘束されている場合は物理的に入管が収容できないことはもちろんであるが、刑事手続上身柄が拘束されていない場合でも、入管が外国人の刑事裁判を受ける権利を尊重してその者を収容しない場合を想定して、それでも退去強制手続を進めることを認めているのである。

このことは、同項の読替え規定が、二九条一項を「容疑者の出頭を求め、又は自ら出張して」と読み替えていることからも明らかである。なぜなら、刑事手続で身柄を拘束されている場合には容疑者の出頭を求めても容疑者は出頭できないのであるから、かかる規定があるということは、容疑者が刑事手続上身柄を拘束されていなくて自由に出頭できる場合を想定しているとしか考えられないからである。

従って、入管法六三条一項からは「刑事訴訟に関する法令の手続」が身柄拘束を伴うものに限定されるという解釈は決して出てこないのである。

(3) 六三条二項が「刑事訴訟に関する法令の手続が終了した後、退去強制令書の執行をするものとする」と規定した趣旨も、刑事手続で身柄が拘束されているときは退去強制の執行は物理的にもできないが、刑事手続で身柄拘束がないときでも、その者の刑事裁判を受ける権利を尊重して、刑事手続終了までは退去強制の執行は控えるものと解釈すべきである。

なお、ここにいう退去強制の「執行」とは、もちろん「送還」のことをいい、退去強制令書の付随処分である「収容」は含まない。これは、入管法五二条三項が、「退去強制令書を執行するときは、…すみやかにその者を第五三条に規定する送還先に送還しなければならない」と規定していることから明らかである。従って、刑事裁判終了まで、退去強制令書による収容は可能である。

二 本件予備的請求が、無名抗告訴訟として有効であること

1 無名抗告訴訟は、行政訴訟法に規定された訴訟形式ではよっては国民の権利救済が十分果たされない場合に広く認められる訴訟形式であり、その形態として①行政庁に作為、不作為を求める訴訟、②行政庁の処分に代わる裁判を求める訴訟、③公法上の義務確認訴訟、④処分権不存在確認訴訟等に分類されている(新日本法規「行政訴訟の実務」九八頁)。

本件は、当初③の形態であると考えて請求の趣旨も「なしえない効力のものであることを確認する」としていたが、むしろ、かつて引用した刑務所での懲罰処分の執行差止を求める名古屋地裁昭和五一年一二月一七日判決(判例時報八四七号四三頁)や、新潟地裁昭和五四年三月三〇日(行裁三〇巻三号六七一頁)と同じく、①の形態にあたるものと考え、この度請求の趣旨を「執行してはならない」と変更したものである。

2 右新潟地裁判決によれば、「行政行為についての作為不作為を求める訴訟は、過去に同種行政行為がなされ将来もこれを継続することが明らかで、行政庁の一時的判断権が行使されたに等しい場合とか、行政庁が一定の行為をなすべきことが法律上覊束され、当該行為をなすべきかどうかについて行政庁の判断を重視する必要がない程度に明白である場合において、事前に司法審査しなければ国民に回復し難い損害を生ずる緊急の必要性があるときは許される。」

これを本件についてみると、入管は、刑事裁判中でも強制送還なしうるという解釈による運用を継続しており、一時的判断権が行使された場合に等しく、また、前記のとおり、憲法、国連人権規約、出入国管理及び難民認定法上、刑事裁判中に強制送還できないことは法律上覊束されている。そして、いったん送還されれば、法律上も事実上も刑事裁判を受けることができなくなり、現状回復しがたい損害を生ずる緊急の必要性がある。

従って、本件予備的請求は、無名抗告訴訟としての要件を満たしており、当然許されるものである。

結論 以上のとおり、本案における申立人の主張が正当であることは明らかであり、「本案に理由があるとみえる」ということは決してない。

そして、強制送還によって申立人の訴訟継続が極めて困難になること、特に、執行がされてしまうと「訴えの利益がない」という理由で請求が却下されてしまう可能性が大きいことから、原告に「回復困難な重大な損害」が生じることは、原決定時と同じである。

さらに、執行停止により「公共の福祉に重大な影響を及ぼす恐れ」がないこともすでに述べたとおりであり、さらに、本案訴訟も判決まで残すところわずかであり、これまでの長期間の送還停止が可能だったことを考えると、本案訴訟判決まで待っても何らの悪影響はないはずである。

従って、執行停止を認めた原決定は維持されるべきである。

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